代表ブログ「渋沢栄一 続き」
渋沢栄一の本を読んでいると、大きく2つのことが分かってきました。一つは、考え方がとてもバランスが取れていることです。『論語とそろばん』自体、何ら関係性があるとは思えませんが、商業には道徳が必要であり、相反するものではなく、共に成り立つものであると説いています。言ってみれば中庸が基本となっているような気がします。
もう一つは、文明開化した明治の時代には、国民の教育と民間挙げての実業の発展がなければ、日本国が富んでいかない、という公益的・客観的人生観を大事にしていることです。そのために活動することが自分の役割である、という固い信念があります。そして自分や身内のみを大事にする主観的人生観をとても嫌っています。
こんな話があります。三菱の財閥の創始者の岩崎弥太郎との屋形船会合事件です。岩崎から料亭に招待され、こう切り出されたのでした。「君と僕が手を握り合って事業を経営すれば、日本の実業界を思うとおりに動かすことが出来る。二人で大いにやろうではないか。」
結局、二人で大きな富を独占しようということでした。渋沢は、「国を富ましていきたいことが念願であり、富は分散さるべきものであり、独占するものではない。」と議論は激しく対立しました。そして腹を立て席を立ったのでした。ここに渋沢の真骨頂があります。
もし渋沢が同じ考えであったなら、日本の資本主義は大きく変わったことでしょう。岩崎弥太郎は、土佐の生まれであり、司馬遼太郎の本か何かで、今でいえば過剰な営利追及型の言い方をされていたことを思い出しました。子孫や番頭格の人たちが優れていたから、今の三菱があったのかもしれません。
渋沢栄一は、後でこう言っています。「私がもし一身一家の富を積もうと考えたら、三井や岩崎の三菱にも負けなかったろうよ。」現代の日本が世界有数の経済大国になったのも、渋沢栄一の恩恵に浴していると言っても過言ではないと思われます。新1万円札に渋沢栄一が顔写真に取り上げられるのも当然なのかもしれません。